はまゆうの会

おしょろ様とは

 おしょろ様とは、ご先祖様の乗り物になります。なすと白瓜(きゅうり)などで牛と馬を作ります。
※足はオガラ(麻の茎)、目は小豆・耳は南天の葉・鞍にはいんげんを使います。エサにはそうめんを盛ったものと、ハスや里芋の葉にナスを刻んだものと米を混ぜたものを盛ります。


これらは仏様が一刻も早く帰れるように馬で迎え、牛に荷物を背負わせて送り出すという言い伝えによるものです。(諸説あり)初盆では盆供養の前に行う内施餓鬼の際に親族が用意します。初盆以外の家では牛だけを作り仏壇にお供えします。

【内施餓鬼(うちせがき)】
 お盆の前にお寺さんを呼んで親戚を集め軽いお食事をして、霊を慰める供養のことです。日程についてはお寺さんの都合の良い日を指定してもらうようにします。
尚、施餓鬼とは供養されていない家の周囲にいる餓鬼たちに施しを与えようというものです。

【寺施餓鬼(てらせがき)】
 13日~15日の間お寺の初盆の家を始めとする檀家が一同に集まり、お寺全体で施餓鬼を行うというものです。
この際に、内施餓鬼で用意した袋米を持ってくるところもあるようです。日時についてはお寺から通知があります。

【袋米(ふくろまい)】
 仏様が女性の場合は長方形のさらしを三角形に、男性の場合は長方形に縫います。それぞれ1升のお米を入れます。
仏様が子供の場合は倍の2升のお米を入れます。
袋米は親戚の方が用意するので、お施主様は基本用意をしなくても大丈夫です。

【迎え火(むかえび)】
 13日の夕方に玄関の前でオガラ(松の木)を焚きます。オガラの煙にのってご先祖様の霊が家に戻ってこられると信じられています。昔のやり方通りお墓の前で焚き、家まで火を継いで導きながら迎え火をするところもあります。尚、迎え火は家族だけで行います。
 この日から15日までの3日間がお盆の期間とされています。遠州地方ではこの間に「遠州大念仏」が行われます。

【送り火(おくりび)】
 15日の夕方に親戚や隣人が集まり軽い食事をした後に送り火を行います。家にお迎えした仏様を今度は送り出してあげなければ なりません。迎え火と同様にオガラ(松の木)を焚いて仏様を送り出します。
家の近くの角まで焚き継いでいくところもあるようです。この際には1本は竹・1本は木の箸で挟み合って継いでい行きます。そして初盆に用いたおしょろ様をまとめてお寺さんに納めます。

おしょろ様の供養先については⇒「こちら」

宮型霊柩車

 かつて日本は「野辺の送り」で葬列を組み、お神輿のような形の「輿(こし)」に棺をおさめ男たちが担いで大切に運びました。自動車が普及すると、ご遺体を運ぶ役目が輿から自動車に変わりました。当初は「ご遺体を車の積み荷にするなんて・・・」と抵抗があったようですが、せめて弔いの気持ちを示したいという事からご遺体を大切に運ぶ「輿(こし)」を車に乗せることで、「宮型霊柩車」が登場しました。

しかし、現在では時代の変化で宮型霊柩車の需要が減少し、輿のない洋型やミニバンタイプの霊柩車が増えてきました。宮型霊柩車が無くなってしまうと心配もありますが、実はモンゴルではこの宮型霊柩車が大人気だそうです。

 きっかけは日本で活躍していたモンゴル人力士が帰国したときに、現地の僧侶に「日本には寺の形をした車がある」と紹介したことからでした。その後2003年に日本の葬儀社が寺院に訪れた際、僧侶から「あの宮殿のような車を譲ってほしい」と懇願されて寄贈したのが始まりとなったそうです。

モンゴルでは亡くなった方を盛大に弔う習慣なので、豪華絢爛な装飾が施された宮型霊柩車はまさにうってつけでした。お葬式で使用する為の予約は常にいっぱいだそうです。
また、モンゴルでは社会主義政権時代に仏教が迫害され多くの寺院が破壊されました。仏教復興のために宮型霊柩車は、「走るお寺」として信仰のよりどころになると僧侶たちの支持を集め、仏教のイメージアップにも寄与しているそうです。

エンディングノート

 高齢者が人生における万一のことに備えて、自身の希望を書き留めるノートが「エンディングノート」です。
「エンディングノート」とは、病気で判断力や意思表示の能力を過失したり、事故などで突然の死を迎えたりする前に、延命治療を望むか望まないかなどの治療方法についての希望、葬儀(葬式)のやり方、財産や貴重品についての情報、相続についての考えなどを書き残しておく覚書です。
遺言と異なり法的効力を有する文書ではありませんが、いざという時の為にご家族の負担を減らすことを目的としています。

 映画「エンディングノート」(砂田麻美監督)が公開され、日本製ドキュメンタリー映画で初めて興行収入1億円を突破しました。それだけ人生の最終章を迎えるにあたりご自身の思いや希望を、ご家族に確実に伝える手段として考えてる方が多いという事だと思います。

 

お香典について

香典は正しくは「香奠」と書きます。「奠」という文字は「供える・祀る」という意味があり、本来はお金ではなく供養のためにお香を贈りました。しかし、実際にはお米や野菜が多かったようです。

ご遺族は死の忌みのため家にこもらなければなりませんでした。外からの物資調達ができないので近親者が「一俵香奠」「一升トムライ」「二升トムライ」などというように、関係に応じて米や麦を贈っていました。
喪主を務めない故人の実子は米か麦を一升丸ごと差出、更に日本酒を一樽を付けます。一般の人々は「村香奠」といって米を一升か二升、野菜を添えていたところもあったそうです。玄米の方が日持ちするという事で、白米よりも玄米の方が多かったようです。

現在でもこの風習が残っている地域があるそうです。家の壁や塀などに「玄米一俵」と「住所・芳名」が書かれた白い紙がたくさん貼り出されています。
また「施行(せぎょう)」といって、村中の人に食事をふるまうので大変な物入りになります。お葬式を行うには多くの人手が必要で、村の人々が葬具を用意し土葬や火葬を行うなど役割を担っていため、それを労うために食事をふるまっていたのかもしれません。

喪家は香典帳に記載し、もらった人の家に不幸があった時には香典帳を参考にお返しをしていたそうです。よく香典は預かり物と言いますが、この事柄がいわれなんですね。

神式のお墓

お墓参りに出かけると、「○○家奥都城(奥津城)」と書かれた墓石を目にすることがあると思います。奥都城(奥津城)はオクツと読み神式の墓所を表しています。
「都・津(つ)」は格助詞「つ」にあてた万葉仮名で「~の」の意味にあたります。「都」は神官・氏子などを勤めた人のお墓に、「津」は一般信徒のお墓に使われることが多いようです。

ご先祖に神官や氏子の役に従事した方がいる場合には「都」が使用されることもあります。しかし、地域や神主さんによっては使用する文字が違ってくるので、墓石を作る前にはお葬式をお願いする神主さんに一度相談されることをお勧めします。

「奥(おく)」とは奥深いや置くを意味すると言われています。
「都(き)」は古代のお城の用例にみるように、棚・壁などで四方を取り囲んだ場所を指し「柩(ひつぎ)」の意味もあるとされています。全体の意味としては、「奥深いところにあって外部から遮らられた境域」や「柩(ひつぎ)を置く場所」となります。

万葉集には「奥都城」、日本書記神代巻には「奥津棄戸(おくつすたへ)」と呼ばれています。奥都城と同様の意味であるとされ、古事記伝の表記では「波夫里(はふり)」とされ、葬儀(葬式)を表す言葉ですので神道墓の成り立ちは、後世の神道家によって創られたものと考えられています。